今日は、大好きだった祖父の誕生日です。
思い出に浸りたいのでブログに思いを綴ることにしました(笑)
おじいちゃんと私
祖父にとって、孫は私と姉の二人だけです。
祖父は高知県に住んでいて、私は埼玉県に住んでいました。
会えるのは年に1度か数年に1度。
祖父は頑固で厳しい雰囲気、ちょっと土佐犬に似ている顔立ちです(笑)
渋い紺色の浴衣を着て、雰囲気は昔ながらの頑固親父といったところでしょうか。
仕事人間で家事と子育てはすべて祖母がやっていたと母は言っています。
祖父の家に遊びに行くと、姉と私におもちゃをたくさん用意してくれていました。
姉には女の子用のおもちゃ、私にはなぜかガンダムやパーマンなど男の子用のおもちゃ(笑)
私は姉のおもちゃが欲しくてよく泣いていました。私だって女の子用のおもちゃが欲しい!
でも、よく考えたら男の孫も欲しかったんだろうなぁ、と今になって気付くこともあります。
姉は小さい頃口が達者で、頑固で厳しい祖父とよく口喧嘩をしていました。
私はあまりしゃべるのが得意ではなかったので、祖父の言うことを聞いていました。
真っ白のノートに祖父が大きい枡目を書いてくれて、字を書く練習をしていました。
自分の名前をきれいに書けるように、名前のひらがなをたくさん練習できるように、ということでした。
私は祖父に喜んでもらいたくて、ずっと私の名前をひらがなで書いていました。
1ページ書き終えると「でーきた~♪」と祖父が珍しくゴキゲンです。
その「でーきた~♪」が聞きたくて鉛筆を握りました。私にとっては少し怖いような緊張する上司のような、大好きなおじいちゃんがよろこんでくれるのがうれしかったのです。
ある日、祖父が大事にしていたワープロを誤って壊してしまいました。私は怒られると思って黙っています。
でも、大人は犯人が誰かなんてすぐわかってしまいます。
犯人が私だとバレて混乱し、大号泣する私(笑)
意外にも祖父は怒らず、後日電話で
「直ったから大丈夫だよ、またワープロで遊ぼう」
と慰めてくれました。私にとって忘れることができないワープロ事件です。
小学校に入ってからは、もっと疎遠になってしまいました。電話と手紙くらいです。
小4の時に叔父の結婚式で会うと、なんだか気恥ずかしくてあまりしゃべれません。
その後は中学受験を控えていたので会えませんでした。
高校1年生の時、祖父に沖縄旅行に連れて行ってもらいました。
祖父、祖母、姉、私の4人旅行です。その時すでに祖父は体力がなくなっていました。
祖母と母は、頑固で体力のない祖父と、大学1年生と高校1年生の遊びたい盛りの姉妹2人がうまく過ごせるのかとても心配していたようです。
案の定、私と姉は沖縄に行っても観光をしたがって外に遊びに行ってしまいます。
祖父は苛立っていたようですが、私たちには見せずに祖母にイラつきをぶつけていたようです・・(苦笑)
完全に若気の至りです。。おじいちゃんをもっと気遣ってあげればよかった。
祖父は、「THE昭和の男」なので弱いところは決して見せません。
沖縄旅行でも、観光地に行って疲れてしまって「自分は休んでいるから行ってきなさい」と疲れている姿は見せませんでした。
その後一緒に高知に帰って、足摺岬にも連れて行ってくれました。
きっと、あまり会えない孫に楽しんでもらおうと計画してくれていたんだと思います。
そのおかげで、私の祖父との思い出は沖縄旅行と足摺岬になっています。
その後、私が20歳の時に祖父が入院しました。たばこ・お酒が大好きだった祖父は内臓が悪かったそうです。
大学生だった私は、母と一緒に病院にお見舞いに行きました。
母と祖母は毎日のようにお見舞いに行っていて、
「お見舞いにきても、おじいちゃんもうダメかも。」
と悲しい現実を伝えられました。
私はそれでも祖父に会いたかったので、お見舞いに行きました。
病室に行ってみると、元気そうな祖父の姿。母もびっくりしていました。
きっと、孫に弱い所を見せないように頑張ってくれたんだと思います。
そのすぐ後、悲しいことに祖父は息を引き取りました。
私は初めて近しい人を亡くしたので、頭はパニックです。
母はすでに高知に居て、父と姉は私より一足先に一緒に高知に向かいました。
私はちょうどその時、ドイツにホームステイをするための説明会に出なければいけなかったので、大学の説明会に出た後一人で高知に向かいました。
どうやってチケットを取ってどうやって自宅に帰ってどうやって支度したのかもまったく記憶にありません。
高知空港に着いてタクシーに乗りました。携帯の充電が切れてしまって、お通夜の場所がわからないというハプニング。。
タクシーの運転手さんにその旨を伝えると、3つ候補があるからとりあえず行ってみようと言ってくれました。
今考えたら、ありえないですよね(笑)よく対応してくださったなぁと思います。
運よく、一発で祖父のいる場所に着きました!その時、私にあまりにも生気がないので運転手さんが
「本当にここ?!名前ちゃんと確認した?大丈夫だよね?」
とすごく確認してくれたのを覚えています(笑)
中に入ってみると、10年以上ぶりに会う親戚の人たち。
棺桶に入っている祖父を見ると、「あぁ、本当に亡くなってしまったんだ」と涙が溢れます。
翌日のお葬式では、唯一の孫である私と姉から祖父へ手紙を読み上げることになりました。
私は今までの思い出や、ドイツ留学の費用を出してもらったお礼などを書きました。
実際、読む時になると、全然読めません。口を開くと大泣きしてしまうのがわかって、口を開くことができませんでした。
最初の1行を読んですぐに号泣から嗚咽に変わり、姉が代わりに読んでくれました。
その後も私と母の大泣きは終わらず、母は気を失って倒れてしまいました。
当時の状況を思い出すだけで、いつでもどこでも涙が出てきます。
葬儀がすべて終わって、いろんな感情が駆け巡ります。
なんでもっと会っておかなかったんだろう。
もっと話しておけばよかった。
おじいちゃんにとって私は、いい孫だったんだろうか。
沖縄旅行の時にもっと気遣っていればよかった。
お見舞いにもっと行ってあげればよかった。
もっとおじいちゃんの話が聞きたかった。
大学に入ってからは自由な時間もたくさんあったし、もっと会えたはず。
本当にもっと会っておけばよかった!!おじいちゃんから仕事とか人生論とか聞きたかったなぁ。
本当に、亡くなってからじゃ遅いことに気付きます。
今は、天国でおじいちゃんが快適に過ごせるように、祈るだけです。
大好きなお酒を飲んで、タバコを吸って、楽しく過ごして欲しいです。
たまに夢を見て、祖父の部屋で浴衣を着た祖父が机の前に座っている後ろ姿です。
不思議なことに、懐かしい祖父の匂いとタバコの香りが夢でも漂ってきます。
過去を見られるマシーンがあったら、私が生まれた後から亡くなるまでの祖父と私の思い出が見てみたいです。
それでも、私が20歳になるまで生きていてきれたことに感謝しています。
孝行って、思い立った時にしないと自分に後悔しかありません。
ありがたいことに、祖母が今90歳で生きてくれているので、祖母に楽しい思い出をたくさん作ってあげたいです。
どうか、おじいちゃんが天国で快適に過ごせていますように☆彡